セイコー 150mダイバー 2nd 後期 植村モデル アンティークウオッチ

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セイコー 150mダイバー 2nd 後期 植村モデル アンティークウオッチ

腕時計概要

セイコーのアンティーク・ダイバーウオッチの中でも特に人気の高い2nd後期モデル、通称「植村ダイバー」です。ケースが描く優雅な曲線美と適度な重さが心地よい、機械式ダイバーズの名作です。植村直己(うえむらなおみ)氏は日本を代表する冒険家の一人。1941年に兵庫県に生まれ、日本人として初めてエベレスト登頂に成功。後に世界で最初の五大陸最高峰の登頂者となりました。数々の偉業を成し遂げた植村氏が愛用した「セイコーダイバー」は、植村氏の助言により進化を遂げたとも言われています。植村氏が挑んだ苛酷な環境でも使用できたことからも、この時計のポテンシャルの高さが伺えます。セイコーのスポーツモデルの中でもハイグレードに分類される「ランドマスター」などにも植村モデルが存在します。今回ご紹介するのは「セイコーダイバー」の中でも一、二を争う人気の2ndモデルです。竜頭ガードの無いタイプの2ndモデル(前期)もありますが、一般に「植村モデル」といえばこの後期モデルの2ndダイバーを指します。希少なハック機能付モデル。秒針の赤いドット、柔らかい曲線で構成された大ぶりなケース、整った面構えのダイアル。優れたデザイン要素が組み合わさることで生まれる「モノとしての魅力」にあふれる一本です。コンディションのよいセイコーのアンティーク・ダイバーをお探しのかたにオススメ。ここ最近、国内市場での流通数が少なくなっており、当店で販売したいと思う状態のよい個体は特に数が減っています。また、この数年で徐々に値上がりし続けており、当店での販売価格も倍近くになっています。お早めにお買い求めください。

腕時計データ

ブランドセイコー(SEIKO)
商品名セイコー 150mダイバー 2nd 後期 植村モデル アンティークウオッチセイコー 150mダイバー 2nd 後期 植村モデル アンティークウオッチ
特徴
掲載時価格98,000 yen
販売店アンティーク時計通販専門店・タイムピース
在庫数SOLD OUT
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セイコーの情報

日本を代表する腕時計メーカーです。クオーツ腕時計を普及させ、スイスの時計業界を震撼させました。

創業地
日本
創業年
1881
創業者
服部金太郎

セイコーの解説

時計の修理から輸入へ

1877年に服部金太郎が開いた「服部時計修繕所」がセイコー社の始まりです。金太郎は時計の修理と販売を行いながら、他の時計店にも通い技術の向上に努めました。4年後の1881年には「服部時計店」を創業します。服部時計店では輸入時計の卸と修理を主な仕事としていました。

1892年、いよいよ時計製造部門として「精工舎」を設立します。精工舎は掛け時計の製造からスタートし、1913年に日本で初めての腕時計「ローレル」を発売します。

機械式時計全盛期

セイコー社は様々な人気モデルを発売し、日本の時計業界を牽引してきました。中でも1955年に発売された「マーベル」は大ヒットを記録しました。1960年代には「グランドセイコー」の登場により、精度面でもスイス時計業界と肩を並べる実力を手にします。

クオーツの開発
クオーツ開発前夜

1963年からニューシャテル天文台(スイス)の時計コンクールに参加していたセイコー社は、1967年には2位、4位、5位、7位、8位と上位入賞を果たします。また1968年から参加したジュネーブ天文台(スイス)のコンクールでは1位から7位を独占し、セイコー社の技術でクロノメーター規格を大きく上回る精度が出せることを確認しました。これ以降、セイコー社は時計コンクールへの参加を中止し、実用的で精度の高い次世代の時計開発に注力するようになります。

59Aプロジェクト

1959年に諏訪精工舎で発足した「59Aプロジェクト」は次世代の時計として「クオーツ時計」が有望であると判断し、基礎研究に取り組んでいました。このころすでに放送局用のクオーツ時計は製造されていましたが、タンス二棹分という巨大なサイズに加え、少しの振動で壊れてしまうような繊細な時計でした。

音叉時計の登場

1960年にブローバ社(アメリカ)が音叉時計「アキュトロン」を発売します。この音叉時計は高精度の機械式時計が日差10秒程度であった当時、「月差」1分を誇る圧倒的な精度でした。これに驚いた機械式時計業界は、振動数を向上させることでこれに対抗しようとしましたが、部品の耐久性などの問題を抱えることとなりました。

東京オリンピック

セイコー社は1960年に東京オリンピックの公式時計サプライヤーとして名乗りを上げます。150人体制で計時機器の自社開発プロジェクトを立ち上げ、諏訪精工舎が電子式の計時機を担当することになりました。目に見える目標を手に入れた59Aプロジェクトチームはクオーツ時計の研究をさらに進め、1961年に乾電池のみで動く卓上クオーツ時計「951」を完成させます。

小型化への研究

951の改良型「952」はタバコ箱の半分程度の大きさになりました。しかしこれを腕時計に組み込むには「水晶振動子の小型化」「モーターの小型化」「時計用ICの開発」「電池の小型化」という課題を克服する必要がありました。セイコー社はこれらをそれぞれ「軸受けルビー加工技術の応用」「オープンタイプステップモーターの開発」「機械式時計の熟練工による自作」「ボタン型電池の使用」で解決し、いよいよ世界初のクオーツ腕時計が完成しました。

発売と普及

当初1970年に発売予定だったクオーツ腕時計ですが、経営陣の「1960年代中に発売することが将来クオーツの歴史を振り返ったときに重要である」との判断から急遽1969年12月に発売されました。発売当初、その高額な価格、大きさ、水晶振動子の繊細さから普及は難しい、との予測もありました。そこでセイコー社はクオーツ時計の普及をはかるべく、「クオーツ時計技術の公開」に踏み切りました。一方で消費者向けに大量の広告宣伝活動を展開し、同時に販売店、修理店への講習会も開催しました。クオーツ腕時計が徐々に広まってくると、量産による価格の低下、また技術開発による薄型、小型化、多機能化もすすみ、1973年にはデジタル表示の腕時計を発売するなど、世界レベルでのクオーツ時計の普及が短期間に進んでいきました。

世界のセイコー

東京オリンピックで数々の新しい技術(電子計時システムの導入、デジタル方式のタイム表示、100分の1秒計測など)を開発し、その大役を果たしたセイコーは「世界のセイコー」へと変化していきます。

クオーツ以後のセイコー

クオーツは一時的に世界を席巻しましたが、1990年代以降再び機械式時計に注目が集まりました。セイコーも機械式のグランドセイコーを復活させるなど、その動きに追随しています。しかし世界的にも注目されたのは自動巻発電システム「キネティック(AGS、オートクオーツ)」です。電池交換、電池廃棄が不要なこのシステムは、日本よりも先に環境保護に関心の高いヨーロッパで評価されました。